11月6日の午前中に予定されていた日臨心定例総会、
諸般の事情によって延期になりました。

期日は、後ほど連絡します(来年1月中旬以降の土日になると思います)。

大会プログラム関しての最新情報は、

 この「臨床心理学」を脱ぐ!
ーーそのマスクを外したら、どうなるか。
世界は?自分は?関係は?


「臨床」 という言葉を私たちは大切にしています。「臨床の知」という言葉が今も日本では相当な力をもっている訳や意味を考えることは別にするとして、「臨床心理学会」の名を冠りとして被っている学会としては、「臨床」を大事にせざるを得ません。しかし、それは「臨床心理」と言う言葉にしがみつくことではありません。むしろ、現在使われている「臨床心理学」が当然視していることを徹底的に見直してみようと言うことです。既成のイメージで自らを縛りつけて不自由になっていないか、ということです。


「脱ぐ!」 この言葉には、まずは、人に見せつけたり身を守ったりの衣装を脱ぎ捨てて、裸になって、素(す)になって、自らを見つめ直すということです。脱いだら何が現れるか、と。しかし、言葉を使う限り裸になれるでしょうか? そもそも 何が素(す)と言えるのでしょうか?


裸にして診断するという発想から離れて、着ているものが何かを知るという作業を始めることの方がベターかもしれません。また、全く別の衣装をまとう、あるいは、衣装や飾りの一部を剥がして全体を変えてしまったらどうなるか? こうした軽々とした冒険と試みをすることもできます。それは、この衣装、この専門用語、あるいはこのブランドに見事に組み込まれていて、当然視されるために却って見えなくなってしまっている仕組みや仕掛けを、あらわにしようということでもあります。


いずれにせよ、そうした観察と模索や試行のためには、この「臨床心理学」から一度外に出てしまうことが絶対に必要です。そういう意味を込めて「脱ごう!」と言うわけです。


臨床心理学と繋がったり重なったりしている「学」は実にたくさんありますが、今回はその一つである人類学の力を借りたいと思います。研究方法やアプローチには非常に近いものがあるのですが、これまで私たちの臨床心理学は、基本的に人類学を無視して来ました。その理由を考えるのはさておいて、人類学――文化人類学と言うべきでしょうが――この扉をまずは開けてみましょう。現に生きている集団に参与しながら異邦人の視点を大切にする文化人類学からの視点は、私たちに特別な力を与えてくれます。それは、専門家の常識を揺るがし、専門家依存体制には疑問符を投げかけ、専門家との付き合い方において、全く別の可能性を見せてくれると思います。


大会実行委員会 代表:滝野功久(いさく)